寿司を注文するとき、「一貫」「二貫」と数えるのが一般的です。
「一貫」は具体的に寿司何個を意味するかご存知でしょうか?
「一貫」は寿司一個、それとも二個なのでしょうか?
本記事では、寿司の「一貫」が何個なのか、また「一貫、二貫」と数えるようになった起源について詳しく解説していきます。
寿司の「一貫」は一個?それとも二個?
「一貫」とは元々「寿司二個分」を指していました。
この用語は江戸時代の握り寿司の大きさに関連があります。
当時、初めて提供された江戸前寿司は、一つに多くのネタが載せられ、その重さは約360gもありました。
華屋与兵衛(1799年〜1858年)という人物が、両国で江戸前寿司の店を開いていた時、好みのネタを選んで食べられるように、寿司一つを約40gで提供するようになりました。
この新しい提供スタイルが浸透して、40gが「一貫」の重さの基準となりました。
ですが、40gというサイズは現在の寿司の約二倍の大きさで、一口では食べにくかったため、食べやすくするために二つに切って提供することになりました。
その結果、「寿司二個で一貫」と数えるようになったのです。
しかし、昭和時代に入ると、ネタを大きくした「寿司一個で一貫」とする店が登場しました。
ネタが大きいことにより、寿司一個で十分な量とされ、次第に通常サイズの寿司も一個で一貫とされるようになり、現在ではこれが一般的な考え方となっています。
ただし、「寿司一個で一貫」が主流である一方で、「寿司二個で一貫」として提供する店も存在します。
どちらの方法も間違いではなく、店によって異なるため、その違いを理解しておくと良いでしょう。
寿司を「一貫、二貫」と数えるようになった起源は?
寿司の数え方には「一貫、二貫」という表現が用いられます。
この表現がどのようにして生まれたのか、その背景には様々な説があります。
様々な説について詳しく解説していきます。
江戸時代の通貨からきている説
江戸時代における通貨単位「一貫」は、1000文銭に相当していました。
江戸時代には、96枚の一文銭を結びつけて100枚として扱う「銭差し」という方法がありました。
実際には960文の価値であっても、1000文として扱われることが一般的でした。
寿司にこの考えを適用すると、初めて提供された江戸前寿司は約360gと非常に重く、この重さは「銭差し100文」と匹敵する重さでした。
そのため、江戸の人々はこの寿司を一貫として数えるようになったと言われています。
寿司の値段からきている説
明治から大正時代にかけて、10銭が「一貫」と呼ばれていました。
当時、寿司二個が10銭だったため、寿司二個を一貫として数える習慣が根付いたと言われています。
重さからきている説
「一貫」という単位は元々約3.75kgの重さを指していました。
江戸時代は、押し寿司が一般的で、押し寿司を作る時に一貫(約3.75kg)の重しをのせるぐらいの圧力をかけていました。
また、後に握り寿司を作る時も、一貫(約3.75kg)の程度の重しのせたぐらいの強さで握ること目安にしていたようです。
一貫(約3.75kg)という重さが、気付けば寿司の数え方になったとも言われています。
漢字からきている説
「貫」という漢字は象形文字で、二つの貝を紐で抜き通した様子を表しています。
江戸時代は煮貝の寿司が人気であり、二つの煮貝寿司を一貫として数えるようになったとも言われています。
まとめ
今回は、寿司の「一貫」が何個なのか、また「一貫、二貫」と数えるようになった起源について詳しく解説しました。
「寿司一個で一貫」が主流である一方で、「寿司二個で一貫」として提供する店もあり、どちらの数え方も間違いでありません。
店によって異なるので、どちらの数え方もあるということを覚えておきましょう。
本記事がみなさまの生活にお役立ち出来ると幸いです。