関東と関西でエスカレーターで立つ場所が違うのはなぜ?境目の県はどこ?

同じ日本国内でも、関東と関西では様々な習慣が異なっています。
言葉遣い、食文化、季節の祭りなど色々な違いがありますが、特にエスカレータでの立ち方にも大きな違いがあります。
関東地方ではエスカレーターで立ち場所は通常左側で、右側を通行しやすくしています。
一方で、関西地方では右側に立つことが多く、左側を通行しやすくしています。

エスカレーターで立つ場所が関東と関西で違いがあるのはなぜでしょうか?
また、どの県で境目となっているのでしょうか?

以下はエスカレーターに関連する記事です。ご参照ください。
エスカレーターの逆走はなぜ危険?リスクと社会的責任を解説

関東地方で立ち場所が左側となっている背景

関東地方で左側に立つ習慣が広まった具体的な理由は分かっていませんが、いくつかの説が考えられています。

武士の刀の差し方の名残りによる説

今も昔も日本人の多くは右利きです。
右利きの武士や侍は、刀を利き腕の右手で使うために左側に差していました。
刀を左側に差して右側を通行すると、刀の鞘が他人の鞘と接触することがあるため、左側を通行することで接触を避けていたようです。
これが左側通行が習慣となった一つの説とされています。

戦後の交通法変更の影響による説

第二次世界大戦後に交通法が改正され、日本では左側通行が定められました。
公共施設や駅は左側通行を前提として設計されたため、左側通行が一般的になりました。
エスカレーターに乗るときも左側に立つことが自然と定着していった説とされています。

関西地方で立ち場所が右側となっている背景

関西地方で右側に立つ習慣が広まった説がいくつか考えられています。

財布の盗難防止が習慣となった説

関西地方では、昔から着物を着る際に財布を胸元に入れることが多かったようです。
着物は通常、右前に合わせるため、右側から手を入れて財布を取り出しやすくなっています。
このため、財布を守る目的で、特に商人たちを中心に右側に立つ習慣が広まったと言われています。
これが右側通行が習慣となった一つの説とされています。

阪急梅田駅で右に立つようにアナウンスがあったことによる説

1967年、阪急梅田駅の新しい長いエスカレーターの設置されました。
その際、急ぐ人の通行をスムーズにするため左側を空けるようにとアナウンスされました。
このアナウンスは関西地方全体に右側に立つ習慣を普及させる一因となった説とされています。
1998年にはこのアナウンスは終了しています。

大阪万博で国際的な習慣の採用による説

1970年の大阪万博では、国際的な習慣に従ってエスカレーターで右側に立つことが奨励されました。
大阪万博を通じて、関西地方で右側に立つことが浸透し始め、その後も広がっていったとされています。
この影響で関西地方ではエスカレーターでは右側に立つことが一般的な習慣となったという説があります。

エスカレーターの立つ場所が違う境目の県

東京ではエスカレーターの左側に立つのが一般的ですが、大阪をはじめとする関西地方の一部地域では右側に立つ習慣が根付いています。
右側に立つ習慣は関西地方では大阪府や京都府、奈良県、兵庫県で見られますが、滋賀県や和歌山県では左側に立つことが一般的です。
京都では、多くの国内外の観光客が訪れるため、先に乗っている人の立ち位置に合わせるという柔軟な対応となっているようです。

一方、関西地方を除く西日本の地域では、左側に立つのが普通です。
全国的にも、エスカレーターでは左側に立ち、右側を歩行する人たちのために空けておくのが一般的な習慣となっています。

まとめると、関東地方、関西地方で立つ場所が違うのではなく、各都道府県によって異なるようです。

エスカレーターを歩くことによる転倒事故が増えているため、最近ではエスカレーターに乗る際には立ち止まって利用することが推奨されています。
この安全対策として、埼玉県では立ち止まってエスカレーターを利用することを義務付ける条例が施行されています。

将来的には、エスカレーターの立ち位置が中央に統一されることも考えられています。
立ち止まることによって、どちらの側にも空間を空ける必要がなくなります。
親子連れや特定の側にしか立てない人たちも含めて、全ての利用者が安全にエスカレーターを利用できるようになることが期待されています。

まとめ

本記事では、エスカレーターで立つ場所が関東と関西で違いがある理由、どの県から境目になっているかを紹介しました。
全ての方が安全・快適にエスカレーターを利用できることが一番です。自己中心的な利用は絶対にやめましょう。